*1975年某月某日のことでありました。 ずっとずうっと西の方にイギリスって国があっての。そこにエノとゆう音楽師がおったのじゃ。若いのに頭がピカチューしておっての。その紡ぎ出す音楽も負けず劣らずピカチュウしておったのじゃ。人々はあまりのその光に目がくらんでついつい聴いての踊り狂ったもんじゃ。人々が踊り狂えば狂うほどピカリンコに輝いた銭の花がそのツルリンコな頭の上に咲きました。些少ながら。 「やれわしもロンドンお江戸で成功したのう。そろそろ故郷の森橋村に帰って、わからんちんの爺様をぎゃふんと言わせてやるかの。」 そんなこと言いながらエノは爺様が大好きでした。目一杯ピカピカしてチャラチャラした服を着てそりゃもうチャラチャラした車(通称チャラカー)に乗って故郷に向かったエノちゃんです。
 町を越え丘を越え、森を越えた遥か田舎に森橋村はあります。その村外れの山奥にエノの爺様婆様は住んでおりました。 「おやまあ、珍しいこった。孫のエノ坊が帰って来たよ。何年振りかの。爺様爺様、エノ坊じゃ。何か言ってやんなまし。」 そりゃもう婆様は大喜び。ご馳走を食べさせてやろうと、山にウドやタケノコ、シカやカブトムシを採りにいったとさ。 爺様と二人残ったエノちゃん。
 爺様は炭焼きをして一生を過ごしておりました。 「爺様、ただいま。」 「エノか。元気そうじゃの。」 「まあ、何とか。」 「江戸ロンドンで成功したそうじゃの。」 「まあ、何とか。これくらいのちゃらちゃらした服と車を帰るくらいにはなりました。はいお土産のダイア入り首から下げるペンダント。風水的にもバッチリです。」 爺様、それを一瞥もせず言いました。 「そうか。成功したか。なんぞ噂に聞くと「エノは後藤いや、エノはゴッド」とか言われてるそうじゃが。」 「いやー、何かね。それほどのことはねえんだけどもよ。」 「そうか。そうだろな。それで何か人様のお役に立ったか?。」 その問いにギョッとして立ちすくむエノちゃん。 「オラはこうして一生炭を焼いてここで暮らしておるが、さぞかし町の衆村の衆はこれで寒い夜暖まってくれるだで。それだけを生き甲斐にしてほれこの歳まで焼いておるのじゃ。お前はどうじゃ。ロックとか言ったな。暖かいのか?」 「そりゃも、ホットもホット。熱いぜ。」 と、言いながらも何故か涙がこぼれちゃう。泣きながらチャラ・カーに乗ってお江戸に帰りました。 あまりに泣いたもので前が見えず
きーーーーー、がしゃああん。どががががが。
 名物霧に隠された大木に気が付かず、正面衝突してしまいました。チャラ・カーはちゃらちゃら。 「爺様、星が見えた。やれそうです。」 実際ピカちゅうな頭の上に星が廻ります。 病院で傷を癒すこと数ヶ月。エノは窓の外に見える雨と風と木々を見て過ごしました。 退院するやいなや、あの時見た星の音楽を作ってみました。 うまくいきました。でも、時が経つにつれあの星の色が薄れて忘れてしまいそうです。 そこでエノちゃん、水鴎流拝一刀氏の元に弟子入り、三日三晩三年間メシも水も喰らわずただただ仏の前に下座したのであります。
 「武士道とは風になり土になり水になることなり。」 カっと目を見開いたその瞬間、あの星ぼしがくっきり眼前に現れたのです。 そしてその日からグラムなロッカーから、音職人に変身し作っては投げ作っては投げの毎日。 ついにものしたその音の絵柄集
 「なんかの風景のための音楽」 人はいつしかエノのことをイーノと呼び始めました。
 イーノはこっそりそのアルバムを爺様のところにクロネコ宅急便で送りました。「こわれもの」のシールを貼って。 そして半年後・・・・・ 中古のカローラに乗ってゆにくろで買った服を着て、森橋村に向かうイーノ。 こっそり爺様婆様の家を窓から覗きます。 爺様が、送ったアルバムをかけて、炭を焼いていました。
 終わり。
お好きな絵柄をお選び下さい。
(山)2006.7.10
入手先参考(US盤、試聴可能です、アマゾン)
not so secret
life music video for "My Life in the Bush of Ghosts"
The English translation page : here.
|