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ろっくす超大特選盤





*CDセットが届いたよ〜。スモーキーの3枚一組のやつ。オリジナル・アルバムなんてアナログでぽこっと出会うしか可能性が無いんじゃないかと思ってただけにこの安い値段でゲット出来たなんて幸せの限りです。その中からブレーク作の2枚目「いつだって変わってます」を。スモーキー。SMOKIEってスペルに後年変わりましたが最初はSMOKEYって名前で1975年にデビューしました。70’s前半の英国グラムPOP界を背負って立ってたマイク・チャップマン=ニッキー・チンのプロデューサー、ソンライター・チームがグラム後にスカウト、送り込んだナイスな連中です。ずっと彼らが付き合ってたスイートが独立しちゃって手を離れちゃったって事情も有り。さーバンドも変わった。時代も変わったし音楽の潮流も変わったてんで新しいことしようと。ど派手路線からしっとりとCSN&Yやイーグルスみたいな爽やかで行こうと思ってたとの本人達の弁を読んだこと有り。LAに旅行した時次はこれだって思ったんだって。最初のブレーク・シングルは2の「イフ・ユー・シンク〜」。タイトルからして新基軸。「ココ」とか「48クラッシュ」とか一発タイトルが旨だったもんな。曲もたしかに。イーグルス路線の生志向。それでいてカチっとしたブリティッシュ風味有りで何とも素敵。1.や6.のアルバム・タイトル曲もそうでやっぱりこのアルバムのハイライト曲となってます。とここまではいくつ出てるかわからない彼らのベスト盤でわかっておりました。してオリジナル・アルバムを聴くと・・・これが三つ子の魂百まで。そんな人間急には変わらないよ。長いタイトルも2曲だけで息切れ。メンバー自作のやつも「ジュリー」とか、台無しだー。曲だってチニチャプのはよく聴くとやっぱチニチャプ。テンポ遅くして脅かさなくなっただけや。とゆうことは形は変わっても同じファンシーさは健在。さらにスイートでやらなかったこともちゃっかりやっちゃってる。プログレー。なんでだ。聴いててこれはスモーキーのメンバーがやりたかった、つうことは自作だなと思ったらチニチャプ作。5.のフライング・ハイです。くんずほぐれつの演奏でイエス真っ青のコーラス飛び交う。スモーキーのイメージ台無し。か、でもプログレと西海岸ってけっこうつながってるから。台無しでも無いかも。コーラスと言えばかなりクイーン意識してるか。よほど好きだったらしくスイートでもやってたし。そっくりそのままこちらでも。チン=チャップマン・チームが組むバンドの特徴としてくそ真面目な連中が多く、このスモーキーも例外で無し。ボーカルのクリス・ノーマン君なんてもうほっとけばいつまでもカメラ目線で切々と訴えて歌ってしまいそう。なところをカチっと3分POP世界で締めてやり過ぎを回避、これがプロデューサーの仕事です。で、いつも言われること。オーバー・プロデュースだと。だけどこの二人と組むってことはトッド・ラングレン博士に製作頼むようなもんじゃき。もしくはメンバーに二人を加入させるようなもんでバンドも覚悟必要。ましや聴く方はこれでチニ=チャプ色嫌だって言ったらどこを聴くんかいな。逆に聞いてみたいような。自分たちだけでやったらどうだったか?これはこの時点でのバンドの決断です。1stも同じ75年に。これもまた色々な意味で面白くて。別の機会に是非。あ、やっちゃてる曲も例によって数曲有り。今みたいに何と無く合格曲ずらずらーってのと違ってこの時代は殺し曲は殺し曲、歌ってるお姿見せられるだけで幸せです曲もアルバムにはきちんと入ってたのだ。そんなキラーばっか作れるほどPOP業界甘く無し。それにキラーばっかじゃキラーもキラーじゃ無くなっちゃうよ。

(山)2005.5.13




明日の恋
スモーキー
1975/5/30


グラムは終わった。
そしてグラムに乗り遅れて成功を待っていたバンドがおった。

起源は遥か昔、

さかのぼること1963年10月。

ロン・ケリーとゆう男とアラン・シルソンとゆう男がレコード店ムーアで出会い”The Yen”

”円”かよ

つ名前のバンドを結成、
二日後、バンド練習にクリス・ノーマンくんが参加、
ベース弾きが見つからぬまま何と1年間も練習しつづけの
1965年初め、ようやっとベース弾きテリー・アトレイ氏が加入、
1965年2月にバーケンショウ・スクールで最初のライブを敢行、

メンバーは
リードボーカル/リズムギターにクリス・ノーマン。
ベース/ボーカルでテリー・アトレイ。
リード・ギター/ボーカル、アラン・シルソン。
ドラムス、ロン・ケリー。

バンド名をThe Sphynxに、そしてEssenceに改名、
1966年に解散するまでブラッドフォードと周辺の小さなクラブをツアー。
1966年9月、ロン・ケリー氏がThe Black Catsつバンドに加入、
アラン・シルソン氏とピート・イーストウッド氏つ方が追っかけ加入すもすぐに脱退して
クリス・ノーマン氏が加入、
1967年11月にThe Four Cornersに改名、
1968年4月、マネージャーとしてマーク・ジョーダン氏がつき
The Elizabethansと改名するようにアドバイスし
バンドは完全にプロとなりより高いギャラをいただくこととなりの
1968年6月、学歴を得るため脱退したアーサー・ヒギンズ氏にかわってテリー・アトレイ氏が加入、
1968年12月9日、バンドはヨークシャー・テレビのニュース番組カレンダーで初のテレビ出演、
1969年8月、BBCの番組ハイ・ジンクスで2曲演奏、
初めてデモ・テープ制作、
1970年1月、RCAにより契約の機会を与えられ、会社はKindnessへ改名を示唆、
1970年4月3日、デビュー・シングル発売も300枚売っただけで他の曲は発売されずクビ、
ロニー・ストーム氏とゆう方の尽力でシングルを発売することとなるも
契約の問題でFuzzy and The Barnetsつ名前で発売、
スティーブ・ローランド氏という方がライブを見て彼のプロダクションとの契約を申し出て
ローランド氏が抱えていたあのアルバート・ハモンド師にバンドのために
あの「カリフォルニアの青い空」を書くように命ずるも
アルバート師は自分でやると主張し、あとは御存知の通り。
そのかわりにバンドのために何曲か曲を書いてやって発売準備されるも事務所の事情で発売されず。
1971年後半にはBBCのラジオワンのDJ、デイヴ・イーガー氏にバンドのマネージメントが引き継がれるも
クリス・ノーマン氏が喉の病気になり、
回復後、まるで別人のようにハスキー声になって
イーガー氏はデッカにバンドを紹介、
1972年2月、レコーディング開始、
3枚シングル発売するも多少の評判獲得後、クビ。
デッカとの契約中にイーガー氏はコネを利用して元ハーマンズ・ハーミッツのピーター・ヌーン師のバックバンドのオーディション権を獲得、
オーディション受けて合格、
ずっとバックをやってくれと依頼されすぐに全国ツアーに駆り出されるもそれでどうなるわけでもなく
マネージメントがイーガー氏からビル・ハーレイ氏に引き継がれ、
1973年8月8日、ロン・ケリー氏脱退、
旧友のピート・スペンサー氏がドラムとヴォーカルで加入、
ドイツはフランクフルトの観光船で演奏、

有り様の中
ハーレー氏は
バンドをついに作曲家チーム、マイク・チャップマン師とニッキー・チン師に紹介、
最初は師匠らは関わるのを断ったもののハーレー氏のセット区でしぶしぶ引き受け、
バンド名を

Smokey

にするよう提案。
バンドをスージー・クアトロ男版の革ジャン仕様にしようとするも中止、
ジーンズの若者路線でいくことに決定、
バンドは新しい楽器を購入、
1974年後半に録音開始、
デビュー・アルバム



スモーキー
Pass It Around


を1975年2月14日発売。
そこからタイトル・トラックを4月15日に発売、


↑ドイツ盤

ツアー敢行するも




↑ユーゴスラビア盤

https://youtu.be/A6eVD64JFy0





↑英盤

チニチャプさんらの中途半端にスージー・クアトロ男版が残った曲で
それでもまあ何とかなるだろうと高をくくっていたがこれがまったく売れず。
これは自分らの人気もそろそろヤバいんじゃないかと
かねてから企んではいたが人を得なかった路線、

今までのチニチャプ全否定!

長いタイトル
ぐだぐだ長い歌詞
ノン・エレクトリック


三拍子路線を
こやつらなら失うものももうあるまい
このクリス・ノーマンくんの声なら

挑戦開始、
アメリカでも成功の野望抱き
SmokeyですとかのSmokey Robinson師とかぶって紛らわしいと
また法的問題が出ても何だと

SMOKIE

に改名、
なお
なんでスモーキーかとゆうとそれはノーマンくんの声から。

改名周知徹底されぬも
ここに


↑ドイツ盤

明日の恋
IF YOU THINK YOU KNOW HOW TO LOVE ME



↑イタリア盤

1975年5月30日発売。

かなりしょうもない邦題。”明日”は”あした”と読む。


↑ベルギー盤

作・プロデュースはもちチニチャプ。


↑オランダ盤

改めましてメンツは

Chris Norman – lead vocals, back vocals, acoustic guitar, electric guitar, piano
Alan Silson – lead guitar, acoustic guitar, steel guitar, back vocals, lead vocals (on "Give It to Me")
Terry Uttley – bass guitar, back vocals
Pete Spencer – drums, flute, percussion


↑スペイン盤

何と12年目にして初の

英国チャート
1回目のヒットで、
1975年7月19日40位初登場、
http://rocksblog.seesaa.net/article/451900645.html
以後
16-6-4-(8/16)3-5-10-19-(9/13)34位。
最高位3位。通算9週。


1975年7月26日98位初登場、
以後
(8/2)96--
(8/23)109-109-108-(9/13)96位。
最高位96位。3週。


↑英盤

https://youtu.be/hKbaGRKKogE




Breathless drive on a downtown street,
 ダウンタウン通り、息もつかずに疾走

Motorbike ride in the mid-day heat.
 真昼の熱気の中、バイクを走らせる

Dust that hung from the desert skies
 砂漠のような空から降り注ぐホコリ

Run though we'd run,
 走りに走る俺たちに

it still burned our eyes.
 それは俺たちの目をまだ焼いていた


Oh yes, we may walk on the wild, wild side of life.
 嗚呼そうだ、俺らはヤバい人生を歩いてるのかもしれない

And our movements traced by a stranger
 俺らの轍を知らぬ他人が踏んでいた

close by your side.
 お前のすぐそばにいる野郎が

In the shadows of a promise
 約束の影の中で

you can take my hand,
 お前は俺の手を取れるんだ

And show me a way to understand.
 そして理解する道程を俺に示すことが出来る


So if you think you know how to love me,
 そう、もしお前が俺の愛し方を知っていると思うのなら

And you think you know what I need,
 そして俺にとって必要なものを知っていると思ってるなら

And if you really, really want me to stay,
 もしお前がマジでホントに俺にいて欲しいのなら

You've got to lead the way.
 道を示してくれねばならない


Yes if you think you know how to love me,
 そうだ、もしお前が俺の愛し方を知っていると思うのなら

And you think you can stand by me,
 そして俺のことを支えられると思ってるなら

And if you really, really want me to stay,
 もしお前がマジでホントに俺にいて欲しいのなら

You've got to lead the way.
 道を示してくれねばならない

おおおー

うーうううー

Reckless night in a nameless town,
 名も無き街の荒くれた夜

Then we moved out of sight with a silent sound.
 そして俺たちは音も立てず消えていった

A beach that wept, the deserted waves
 泣き叫ぶ砂浜、捨てられた波間

That's where we slept,
 そこが俺たちが眠っていたところ

knowing we'd be safe.
 安全だとわかっていた


Now you may think you can walk on the wild, wild side with me.
 今、お前は思ってるかもしれない
 自分が俺とヤバい、ヤバい道を歩けるんじゃないかと

But there's a lot I can learn
 だが俺には学ばねばならぬことが山ほどある

and a lot I'd get to see.
 理解したいと思うことが山ほどあるんだ

I know you've got my life
 わかってる
 俺の人生はお前次第

lying in your hands,
 お前が手の中で握っている

It's up to you to make me understand.
 お前次第で俺は理解出来るんだよ


So if you think you know how to love me,
 そう、もしお前が俺の愛し方を知っていると思うのなら

And you think you know what I need,
 そして俺にとって必要なものを知っていると思ってるなら

And if you really, really want me to stay,
 もしお前がマジでホントに俺にいて欲しいのなら

You've got to lead the way.
 道を示してくれねばならない


Yes if you think you know how to love me,
 そうだ、もしお前が俺の愛し方を知っていると思うのなら

And you think you can stand by me,
 そして俺のことを支えられると思ってるなら

And if you really, really want me to stay,
 もしお前がマジでホントに俺にいて欲しいのなら

You've got to lead the way.
 道を示してくれねばならない


Yes if you think you know how to love me,
 そうだ、もしお前が俺の愛し方を知っていると思うのなら

And you think you know what I need,
 そして俺にとって必要なものを知っていると思ってるなら

And if you really, really want me to stay,
 もしお前がマジでホントに俺にいて欲しいのなら

You've got to lead the way.
 道を示してくれねばならない・・・




↑英盤

くしくもヒット直前、ブルース・スプリングスティーン兄貴の”明日なき暴走”とかぶるテーマ、

まったく奇をてらわずバンド同様チニチャプ師匠連のこの時点での心情あまつところなく吐露しての
またもや
時代を突き抜けおった大成功。

そを受けて



スモーキー・セカンド
Changing All the Time


1975年9月発売。

ここにチニチャプ木綿のハンカチーフ路線開始され

鬱憤を晴らすスモーキーのスタア街道もこれからだ。

涙。

(山)2017.7.21

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ろっくすスモーキーのページ

英語資料

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僭越ながら
ウチのバンド、Lovers Holidayの曲です。
お聞きくだされば幸いです。

http://www.muzie.ne.jp/artist/a001909/

http://www.youtube.com/playlist?list=PL3A8FE17D2271FEAA

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